大判例

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大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)5434号 判決

原告 連山孝次郎

右訴訟代理人弁護士 橋本敦

同 正森成二

右訴訟代理人橋本敦復代理人弁護士 山田一夫

被告 大阪府知事 左藤義詮

右訴訟代理人弁護士 道工隆三

右訴訟復代理人弁護士 長野義孝

同 木村保男

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

被告の本案前の抗弁について検討する。

一、原告が昭和二四年八月当時、大阪府技師として夕陽丘にあった科学技術館に勤務していたこと、同月三一日頃、佐枝大阪府商工部長、佐藤同工業奨励館長および三戸同館次長の三名が原告に対し退職を勧告したこと、原告が退職願を提出したところ、被告が同年九月一日をもって原告に対し本件退職処分をなしたことならびに右退職勧告が定数条例に基づく過員の整理の一環としてなされたことは、当事者間に争がなく、≪証拠省略≫を総合すれば、次のとおり認められる。

大阪府においては、昭和二四年当時行政機構の簡素化という政府の政策に基づいて、行政整理を実施することになり、同年七月一五日、「整理を実施する場合においては、任命権者は、過員となった職員を免職することができる」旨の条項を有する定数条例を公布しかつ施行し、これを同月一日から適用するに至った。原告は、当時大阪府職員組合の執行委員として、同組合の同年五月の組合大会における決議に従って、同条例の成立およびこれによる行政整理の実施に断乎反対する立場をとっていた。ところが、同条例が大阪府議会において成立するや、その翌日召集された同組合の中央委員会は流会し、中央委員の大勢は、最後まで同条例に反対して斗うことはできないとの意見に傾き、同条例反対斗争を含めて、組合執行部が従来とってきた運動方針を批判する声が高まり、同年八月二〇日開催された組合大会においては、執行部に対する不信任動議が出され、採決の結果一五八票対一五七票で右動議は否決されたものの、信任票が出席代議員の過半数に達せず、組合執行部役員のうちにも右条例の実施に対して見解の統一を欠くに至った。このような情勢の変化の中において、原告は、同月三一日頃、前記のように退職勧告を受け、佐枝商工部長、佐藤工業奨励館長等より種々説得され、ここに退職を決意し、同日退職願(乙第一号証)を提出した。右退職願を提出するにあたり、原告は、予め組合執行部役員その他誰にも相談せず、自分の一存で事を処理したのみならず、同年九月一日、組合の執行委員会に出席した際、書記長寺島二郎等が退職願を提出せず、かつ、被告から受けた免職処分に対し労働委員会に提訴することを知ったにもかかわらず、そのように争ったとしても到底自己に有利な結果が得られないものと判断し、別の方向へ再出発しようと考えてその後は組合の会議にも出席せず、定数条例に基づく特別退職金を異議なく受領した。そして、免職処分を受けた他の組合執行部の役員の中には、当時大阪府労働委員会に不当労働行為救済の申立をなした。

以上の事実からすれば、原告には職場に残る自由こそ残されていなかったにしても、退職願を提出して依願退職処分を受けるか、退職願を提出しないで免職処分を受け、その免職処分の効力を争うか、そのいずれを選ぶかの自由だけは、被告の主張するとおり原告の自由な意思判断に任されていたとみるのが相当である。従って、この点に関する原告の主張は理由がない。

二、次に、≪証拠省略≫ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

定数条例に基づく過員の整理の実施にあたり、大阪府では、公表はしなかったけれども、整理基準として、「(1)長期欠勤者、(2)高年齢者、(3)勤務成績が良好でない者、(4)協調性に欠ける者、(5)整理を予定される部課に勤務している者、(6)退職希望者」を定めた。ところが、原告は、真面目に仕事し、その勤務成績も良好で、右整理基準に該当しなかった。しかるに、昭和二四年八月下旬頃、その直接の上司である佐藤館長、三戸次長、二木課長らに対し原告の勤務成績等について何らの照会調査もなされず、突然佐枝商工郎長から佐藤館長に対し、原告に対する退職勧告の話が持ち出された。そこで、佐藤館長、三戸次長、二木課長らは、いずれも原告が整理の対象とされた理由が納得できず、それぞれ商工部長あるいは大阪府の人事担当者に対し、原告を退職させないよう上申し、その勤務成績等について釈明したが、いずれもこれを受け入れられなかったばかりか、佐藤館長は、大阪府の人事ないし総務担当者から、原告が勤務時間中に赤旗を持って引揚者の出迎に行ったことが問題とされており、注意人物のリスト(それは、佐藤館長には、勤務成績に関するものではなく、思想傾向に関するリストであるとうかがわれた)に載せられていると告げられた。ところで、原告は、当時共産党員ないし共産主義的思想に同調して革新的な立場に立ち、組合活動も熱心に行っていたものである。すなわち、原告は、昭和二二年八・九月頃、有志とともに大阪府職員組合江の子島支部を結成し、昭和二三年同支部長、同組合本部中央委員を歴任し、昭和二四年四月、同組合本部執行委員に当選し、じ来本件退職処分を受けるまで非専従の中央執行委員として情報宣伝関係の組合業務を担当した。そして、中央執行委員として在任中、情報宣伝部の事実上の副部長として、機関紙を発行して府政のあり方や職員課長の態度を批判し、組合の方針に基づいて、街頭で定数条例反対の宣伝活動をなし、同年六月頃、組合の代表として同組合の書記長であった寺島二郎とともに自治庁に赴き定数条例に関する情報のしゅう集をなし、さらに同年七月には、組合執行部の決定に基づいて他の執行委員らとともに赤旗を持ってソ連からの引揚者を大阪駅に出迎えるなど、活溌な組合活動をしていた。ところで、本件退職処分のなされた昭和二四年九月一日付の人員整理の対象となった者は二〇三名であったが、そのうち一七九名は任意退職者であり、残りの二四名が原告のようにその意に反して退職を勧告された者であった。そして、商工部においては、原告を除いては退職勧告を受けた者はなく、科学技術館および工業奨励館においても原告の外には六〇才を超えた老人が一人任意退職したにすぎなかったが、組合においては、執行委員一八名のうち原告をはじめ副委員長松本昇、同高石茂夫、書記長寺島二郎、調査部長東野勇、文化部長小川年一、婦人部長松井悦子等九名が整理の対象となった。

右の事実によれば、被告が、原告を人員整理の対象に選んだことの合理的な理由が見当らないばかりか、かえって、大阪府における人事担当者が、原告を共産党員又はその同調者とみなしてこれに差別的取扱をなし、また原告の積極的な組合活動を嫌悪し、定数条例による人員整理に便乗して、原告を人員整理の対象者としたものであると推認される。この点に関する証人佐枝新一の証言中、当時商工部長であった同証人は、科学技術館を工業奨励館に吸収しようと考えていたところ、科学技術館においては原告が中心となってこれに反対したことから、原告を協調性を欠く者であると認め、さらに将来における科学技術館の整理を容易ならしめるため、同証人の発意により原告に退職勧告をなしたとの供述部分は、前掲諸証拠と対比して到底信用できないし、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そうすれば、原告に対する本件退職勧告は、一面においてその政治的信条に対する差別的取扱として憲法第一九条、第一四条労働基準法第三条違反の意図を有するとともに、他面においてその労働組合の正当な行為をしたことを理由とする不利益な取扱としての労働組合法第七条一号違反の不当労働行為的意図を有するものとみるのが相当である。

三、さらに、原告が本件退職処分後満九ヵ年有余を経た昭和三三年一一月二五日に至って本訴を提起したことは記録上明かであり、本件整理をふくめて昭和二四年九月頃行われた官庁職員の整理ならびに昭和二五年に民間重要産業において行われた従業員の整理がいわゆるレッドパージ(赤色追放)として、当時新聞等に報道せられ、被整理者の中で労働委員会や裁判所に提訴するものが相当数にのぼったことは、公知の事実である。これらの事実に上記一、二説示の事実関係を総合すると、原告は、被告の原告に対する本件退職勧告が前記認定のごとく、政治的信条による差別取扱の意図ないし不当労働行為的意図に出たものであることを、本件退職処分当時すでに意識していたものであって、しかも、かかる退職処分に対して労働委員会又は裁判所に提訴してその効力を争う術の存することを知悉していたものと認められる。しかるに、原告は、本訴提起に至るまでの九年有余の間本件退職処分の効力を争うための法的手段を何等講じなかった(この点は原告において明かに争わない)。そして、≪証拠省略≫によれば、その間、昭和二七年には科学技術館が工業奨励館に併合されるなど、大阪府における人事および機構にも相当な変動があったことが認められる。

四、ところで、労使関係の法的安定は労使双方にとって極めて緊要であり、したがって、労使間の法的紛争の早期解明は、使用者の経営秩序のためにも、労働者の生活安定のためにも要請されるところである。このことは、労働組合法第二七条三項(ただし昭和二七年の法改正で追加)が労働委員会に対する不当労働行為救済の申立について行為時より一年の除斥期間を定め、労働基準法第一一五条が同法の規定による賃金、災害補償その他の請求権の消滅時効の期間を二年の短期間とし、同法第一一四条が労働者の附加金の支払請求権について二年の除斥期間を設け、地方公務員法の旧第四九条四項が不利益処分に対する職員の審査申立期間を説明書交付の時から三〇日以内(なお、現行の同法第四九条の三では、六〇日以内とし、一年の除斥期間を設けている)と定めていることなどからも、うかがわれる。かかる労使間の法的紛争の早期解明の要請は労働関係の特殊性に由来するものであって、法がかかる紛争に関して、裁判所に対する提訴期間を規定していないことによって、否定されるものではない。使用者が従業員に対して、解雇事由の存することを知りながら雇用関係を継続し、長期にわたって解雇権を行使しないでいるときは、使用者は後に至って当該解雇事由を理由にしては、もはや解雇しえなくなる。この場合、その法律構成は個々の事案に応じて種々考案されるであろうが、使用者のかかる行動の裡に、当該解雇事由によっては雇用関係の継続を期待し難いものとはみなさないとして、解雇権の放棄を認定するのを相当とする場合も存する。解雇又は合意退職に対する従業員側の態度についても、同様のことがいえるのであって、従業員が解雇又は合意退職によって職場を離れ、その解雇又は退職における使用者側の事由又は意図を知りながら、長期にわたってその効力を争うの措置に出ず、信義則ならびに慣行上、雇用関係の継続がすでに期待し難いものとして取扱われてもやむをえないと解せられる状況にあるときは、当該従業員において、その解雇又は退職の効力を争う意思をすでに放棄したものと認定するのを相当とする場合が存する。そして、かかる思考過程は、前述の労使間における紛争の早期解明による法的安定の要請に発するものにほかならないのであって、原告のような公務員関係にも妥当する。

本件において、上記一、ないし三に説示したところから明かなように、原告は、被告の本件退職勧告が原告の政治的信条および組合活動を理由とする差別的意図に出たものであることを知りながら、所属労働組合の動向等から、本件退職勧告には所詮抗しえないと観念して、みずから任意に退職届を当局に提出して昭和二四年九月一日付で依願退職処分となり、被告より免職処分を受けた他の組合執行部役員がいち早く大阪府労働委員会に提訴して復職等の救済命令を申し立てているにかかわらず、これら免職組と行動を別にし、じらい昭和三三年一一月二五日の本訴提起に至るまで九年有余の長きにわたって、職場を離れながら本件退職処分については沈黙し、府当局に対して本件退職処分に異議を述べることなく、又労働委員会や裁判所に対しても救済を求める措置に出なかったものであって、その間、大阪府の人事および機構にも相当の変動を生じている。これらの点を、前述の労使間の法的紛争の早期解明の要請と相まって信義則に照して考量するときは、本訴提起当時においては、すでに、原告は被告との間の職員関係の継続をもはや期待し難いものとして取扱われてもやむをえない状況にあって、本訴提起に至るまでの原告の前記挙動の裡に、本件退職勧告における被告の前記意図を本件退職処分の無効事由として利用しないとの意思表示が黙示的に存し、したがって、かかる無効事由に基づいて該処分の効力を争う意思を被告に対して放棄していたものと認めるのが相当である。そして、原告が本訴提起当時すでに右のとおり本件退職処分の効力を争う意思を放棄していた以上、原告の本件訴は、不起訴の合意ある場合と同様、権利保護の利益を欠くものといわなければならない。本件訴が憲法違反を理由として構成されていることによっても、以上の認定をさまたげるものではない。

五、以上の次第で、原告の本件訴を不適法として却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 大須賀欣一 裁判官美山和義は、転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 木下忠良)

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